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2016年6月 5日 (日)

兵庫 網干の町並み 1

昨年2月、室津に行った日とは別の日に網干(あぼし)の町並みを見に行ってきました。
網干の名の起こりは、魚吹八幡神社の放生会が行われる日に、氏子の漁師が殺生をやめて網を干してお参りをしたことと謂われています。

漁業の盛んな港町で、長屋門のある屋敷も見かけますが、埋め立てが進められて、現在では町の中心部は海から離れてしまいました。

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江戸時代には余子浜、興浜、新在家の3村に分かれ、それぞれ丸亀藩や龍野藩領となっていました。
歴史の表にはあまり登場してはいませんが、余子浜地区には勝海舟が題字を揮毫した初代網干町長の拮秀碑があるように、いろいろな出来事があったのでしょう。

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揖保川の河口に位置しており、舟運により多くの物資が集まり繁栄してことから

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多くの商家や寺院が建ち

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大きな建物が残されており

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趣のある町並みが目を楽しませてくれます。

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新在家の町中には、網干出身の幕末の思想家、河野東馬が蛤御門の戦いに敗れた後、慶応4年に開設した私塾稲香村舎(とうこうそんしゃ、誠塾)がありました。

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その後、明治政府からの召出を辞退して、この地に留まり優秀な人材を育成したとのこと。

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東野の死後に塾は閉鎖、昭和23年に網干農学塾が開設されたものの、昭和38年に閉塾
放置されていた建物を近年になって復元修理し、現在は姫路市の重要文化財に指定されています。

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この後、しばらく網干の町並みを紹介させていただきます。

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