史跡

2017年4月30日 (日)

兵庫 篠山の町並み

一昨年の8月、柏原の後、篠山中心部の町並みを見に行ってきました。
篠山は、丹波の国、山陰、山陽と京都結ぶ交通の要衝にあり栄えたところ

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古い町並みの中心部に、篠山市立歴史博物館があります。
こちらの建物は、明治24年(1891年)に建築された、現存する木造裁判所としては日本最古の篠山裁判所として利用されていたものとのこと。

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観光客で賑わう商店街が近くにあります。

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丹波篠山は黒大豆、イノシシ料理などが有名で

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ぼたん鍋店には、大きなイノシシの看板がありました。

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商店街から篠山城に向かう途中にあるのが大正ロマン館

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大正12年(1923年)に建築され、平成4年まで篠山町役場として利用された建物を改装し、レストラン、篠山の物産販売などを行う観光拠点施設となりました。

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篠山は城下町でもあり、慶長14年(1609年)に松平家の城が築かれ、その後青山家が藩主となりました。

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天守閣は築かれませんでしたが、京都二条城の二の丸御殿に次ぐ大きさの大書院が造られ、その後焼失しました。
平成12年(2000年)に再建された建物は、木造平屋建て杮葺き、床面積は739.33㎡、棟高12.88mとなっています。

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町中に戻りまして、鳳鳴酒造の酒蔵「ほろ酔い城下蔵」を見学

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寛政9年(1797年)建築の木造2階建ての建物は、国の登録有形文化財になっており、洗米場や釜場、酒造りの道具などが展示されており、無料で自由に見学することができます。

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こちらの銘柄の酒「鳳鳴」も直売され試飲もできるのですが、自動車で来ているため、味見をすることができなかったのが残念でしたね。

2017年4月 8日 (土)

兵庫 柏原 太鼓やぐら

柏原の町中、大歳神社の脇にひっそりと建つ太鼓やぐら

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時報や警報のほか、登城時など様々な合図に利用されていたそうです。

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もともとは大手門に隣接して建てられていましたが、明治初頭にこの地に移されたとのこと。
創建年は明らかではありませんが、藩邸(陣屋)が造営された正徳4年(1714年)に近い時代ではないかと考えられています。

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木造で内部は三層になっており、最上層にはつつじ太鼓という太鼓が吊るされています。

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内部を見学することはできませんが

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素朴な格子とともに均斉のとれた姿が美しかったですね。

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2017年4月 6日 (木)

兵庫 旧氷上高等小学校

柏原藩陣屋の隣にある、旧氷上高等小学校の建物

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明治18年(1885年)建築の県下最古級の建物、柏原高等女学校、柏原高校の校舎などを経て、現在はレストランや会議室のある「たんば黎明館」として利用されており、県の重要有形文化財に指定されています。

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木造2階建ての本体に、2階建ての玄関ポーチがあり

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寄棟造りで桟瓦葺き

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建築面積は352.7㎡で、上下窓に下見板張りという、典型的な洋風の建物

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玄関ポーチの上部は切妻となっており、高等小学校の校章が飾られたペディメントや

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周囲には3本の円柱があり

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2階部分には引き違い窓が設置されていました。

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中に入って見ると

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玄関上部にはステンドグラスがはめ込まれています。

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玄関脇の窓口

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2階へ上がる階段

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手すり子などの造作も美しく

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満足させていただきました。

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2017年4月 4日 (火)

兵庫 柏原藩陣屋跡

旧柏原藩の藩庁であった柏原陣屋

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1714年(正徳4年)に造営され、御殿などは1818年(文政元年)に焼失しましたが、長屋門は延焼を免れ、創建当時の姿を残しています。

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左側が番所、右側が馬見所と砲庫となっている堂々とした建物です。

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1820年(文政3年)に再建された御殿の大部分は明治になってから解体され、現存しているのは右側の表御殿部分のみ

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内側から長屋門を見たところ

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こちらの建物は、隣接する洋風の校舎が完成するまで、小学校の校舎として利用されていたそうです。

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正面向かって右側の面

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唐破風の玄関はこんな感じ

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平成15~23年度にかけて修復工事が行われ

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屋根瓦や檜皮は葺き替えられ、垂木など腐朽部分が取り替えられました。

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また、周辺の環境整備も行われ、失われた御用所、台所跡は表面表示がなされています。

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後ほど紹介する旧氷上高等小学校(写真奥に見える洋風の建物)や、移設された太鼓櫓なども近くにあり、そこそこまとまった観光地ですので、これから観光客が増えるのではないかと思います。

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2017年3月19日 (日)

兵庫 柏原の町並み

一昨年の8月、西脇小学校を見た後、丹波市の柏原町に行ってきました。
織田信長の弟、信包が藩主として柏原藩が立藩され、その後幕府領を経て、明治まで信長の次男、信勝系の織田氏の領地でした。

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町の中心部には八幡神社↑や西楽寺などの寺社が建ち並んでいます。

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その中で有名なのがこちら

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樹齢1000年ともいわれる、目通り6m、樹高22mある大けやきですが

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その根の部分が川の水で洗われて橋のようになっており、木の根橋と呼ばれ、柏原のシンボルとなっています。

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柏原陣屋を中心とする城下町で

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あちらこちらに古い建物が残り、いい雰囲気を醸し出しています。

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こちらは、元タバコ屋でしょうか?もう営業はしていませんが、こうした建物も少なくなってきましたね。

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この後、何回かに分けて、柏原の町並み、建物を紹介させていただきます。

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2017年3月 2日 (木)

福島 大内宿

福島県下郷町にある大内宿には、平成27年7月に行ってきました。

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会津と日光を結ぶ会津西街道(会津側からは下野街道と呼ばれていました。)の、会津城下から3番目の宿として、江戸時代初期に整備された宿場町

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それ以前には、伊達政宗の小田原参陣、豊臣秀吉の奥州仕置きの際にも、通行したという記録が残っているそうです。

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一時は多くの建物が現代風のものに建て替えられたそうですが、保存活動のお陰で茅葺の建物が多く残る町並みが再現されており、国の重要伝統建造物群保存地区に指定されています。

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これだけの規模で茅葺の建物が連なっているのは、こちらの他にはあまり聞いたことがありません。

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ほとんどが妻入りの茅葺の建物で、多くはそばを中心とした飲食店として利用されていました。

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野暮な電柱などはなく、江戸時代の宿場町は、まさしくこんな感じだったのでしょう。

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突き当りの小高い山の中腹にある子安観音堂から見た町並みも堪りませんね。

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いつも観光客で混雑しており、あきらめていましたが、今回は近くの湯野上温泉に宿泊し早朝にやってきて正解でした。

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ただ、お店は開いていませんでしたので、ネギを箸代わりに食べる名物のネギそばを食べることができなかったのが残念でしたね。

2017年2月 6日 (月)

兵庫 加西 鶉野飛行場跡

このブログは古い話題が多いので、訪問した時に資料をもらっていても、アップする頃には忘れてしまっているものも多くなってきていますが、今回は昨日行ってきた加西市にある鶉野飛行場跡を忘れないうちに紹介させていただきます。

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昭和18年に姫路海軍航空隊のパイロット養成基地として整備され、近くには川西航空機鶉野工場も建てられ、紫電や紫電改が製造されていたそうです。

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終戦前には、神風(しんぷう)特攻隊「白鷺隊」が編成・出陣したという歴史も有しています。
滑走路は一部道路が横切っていますが、ほぼそのまま残っており、近くには鶉野飛行場資料館や(第1・3日曜日開館)

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平和祈念の碑などがあります。

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周辺の農場には防空壕が数か所残されており

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一部は内部を見ることもできます。(1週間前に要予約)

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田園地帯の真ん中には

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対空機銃座跡が残されていました。

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映画「男たちの大和」の撮影で使用された96式25粍対空機銃の模型が据え付けられており

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当時の姿をうかがい知ることができました。

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昨年、滑走路跡地などが国から加西市に払い下げられ、2019年度までに紫電改の実物大模型などを展示するミュージアムや防災施設などを順次整備する予定と聞き、整備される前に見に行ってきた次第です。

ご興味のある方は、次のHPを参考にしてください。
鶉野飛行場資料館

2016年11月 1日 (火)

高砂 米田町の町並み 3

高砂の米田町の町並み、最後は宮本武蔵・伊織の里です。

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米田天神社の南側に武蔵・伊織親子生誕地の碑が建てられています。

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武蔵ゆかりの地はたくさんあり、生誕地についても諸説あるようですが、こちらでは

 播州高砂は生誕の地
 作州大原は修練の地
 豊前小倉は大成の地
 肥後熊本は終焉の地  

 として紹介されています。

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こちらには、武蔵最晩年に病床でまとめたといわれる独行道の碑や

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田原・宮本家父祖の地碑のほか、五輪司供養廟など多くの碑がまとめて建てられていました。

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近くにある西光寺には

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五輪之庭や

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武蔵・伊織親子の銅像も建てられており、身近にありながら結構楽しめるところでした。

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2016年9月11日 (日)

京都 文化財特別公開

今年の夏は暑いですが、その中でも暑さが厳しいことで知られる京都では、文化財の特別公開が9月末まで行われています。

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スルッとKANSAI3Daysきっぷを購入して、何箇所か巡ってきました。
まずは7月に行った藤田家住宅、帯製造業を営んでいた西陣の風情のある町屋で国の登録有形文化財に指定されています。
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今回が初めての公開、明治期に建てられた東棟は残念ながら見ることができませんが、昭和10年に建てられた西棟を拝見させていただきました。

障子の紙の部分に葦を使った夏仕様になっており、暑い日でしたが涼しさを感じさせてくれます。
3層の吹き抜け空間もあり、数寄屋風と書院造を使い分け、洋間も備えた建物は見ごたえがありました。

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次に向かったのが、白川にある明治・大正期に活躍した七宝家、並河靖之の邸宅で、現在は七宝記念館として利用されています。
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今回は建物と庭園、旧工房が公開されており、七宝の展示や応接室などは見ることができますが、写真撮影は庭園以外は禁止されていました。

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8月になってからは、平安女学院大学有栖館に立ち寄りました。
御所の西隣に位置する旧有栖川宮邸を御所内から移築され、京都地方裁判所所長宿舎として利用されていたものを平安女学院大学が購入したとのこと。
烏丸通りに面した青天門は三井総家から移築されたもので、右手に見える桜は秀吉の醍醐の花見で有名な桜の孫にあたるものだそうです。
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書院造の広間の一角が能舞台となっており、畳に座って見ることができる庭も見事なものでした。

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暑い中での見学に疲れた後の楽しみは、四条大宮にあるお店や

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京都駅近くのイオン内にある浅野日本酒店での一杯

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暑さも疲れも吹き飛びました。

これらの詳細は後日報告させていただきますが、ご興味のある方は次のHPを参考に訪ねてみてくださいね。

第41回京の夏の旅 文化財特別公開 9月末まで開催中

2015年5月 6日 (水)

宮崎 飫肥の町並み 3

GWも今日で終わり、皆さんいかが過ごされましたか?
私は北東北の温泉調査に行き、古い建物、花と新緑を楽しんできました。
その模様は、姉妹ブログ「ちょっと温泉に行ってみますか」でご紹介していますので、よかったらご覧ください。

27 GW 北東北の旅

それでは、昨年11月に行った宮崎県の飫肥の町並み紹介に戻ります。

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落ち着いた石垣が続く町並みの一角に

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木造の古い門が残されています。

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飫肥藩の藩校として江戸末期に造られた振徳堂の建物

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門の奥のゆったりとした敷地に平屋の建物があり、小村寿太郎もこちらで学んだそうです。

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内部も公開されており、無料で見学できます。

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旧藩校らしく、勉強のための机も並べられており

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当時を偲ばせてくれます。

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立派な長屋門も当時のまま残されているとのこと。

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